おおざっぱの幸福(未来探偵 その1)
後頭部の鈍い痛みでミツオは目を覚ました。真っ暗で何も見えない。どこにいるのかも分からない。無意識に後頭部に手をやる。ぬるりとした感触を指先に感じる。指先の液体は血液特有の匂いを発している。自分が、どの程度の傷を負っているのかと想像して血の気が引いた。しかし傷の痛みは出血を伴うものでもなく、どうやら自身の血ではないという結論にたどり着いた。
では一体誰の血なのか……
ミツオは上着の内ポケットをまさぐる。オイルライターを確認してすぐさま着火する。
コンクリート打ちっぱなしの壁、床を見て、直感的にどこかの地下室だとミツオは思った。血だまりの端を見たミツオは炎を横にふる。
首から血を流す和服姿の老人が断末魔の表情を浮かべて横たわっている。ミツオはおそらくすでに息絶えているであろう人物に近づく。
ライターをかざして誰なのかをよく見た。
おおざっぱに幸福(未来探偵 その2)
ミツオは老人の顔を見て息を飲む。そして、自分の置かれている状況の最悪さに天を見上げる。その老人は近年、デジタルでしのぎを作り出している山岡興業の親分だ。
自分は殺していない。
そう主張しても、誰もミツオの言葉は信用しないだろう。
とにかくこの場から姿を消すしかない。そう考えたミツオは部屋のドアを探す。部屋の端に青色の扉が揺らめく炎に浮かび上がった。老人を見据えたまま後ずさったミツオが扉に到達する。
鍵のかかっていないドアは音もなく開いた。
廊下があり、地上階に続く階段があった。
ミツオは外に出る。
石畳をふみながら、もう一つの扉の勝手口をめざす。
重厚な門扉にも鍵はかかっておらず、道路に出たミツオは一目散に走る。
一部始終をモニターで見ている人物がいることをミツオは知らない。
おおざっぱに幸福(未来探偵 その3)
ミツオには親分を殺した覚えはない。
敵は多いであろう親分が、どうして死ぬことになったのかを考えながら、霧の中を歩く。
そしてひとつの結論にたどりつく。
猫の案件。
始まり夕暮れだった。
ミツオはやることもなくソファーで横になっていた。その姿を視界のはしに捕らえながら相棒であり、アンドロイドのエリーがつぶやく。
「ひまですね」
ただの毛糸だったものが、エリーの手元で帯状の布地に変化していく。最近はまっている、編み物のおかげで、エリーは退屈していないようだ。
「何を作っている」
ミツオは今夜の夕食もままならない、切実な経済の問題から目をそらすように聞く。
「秘密です」
エリーは照れながらミツオに背を向けた。
「すいません。ロクロ探偵事務所ってここで合ってますか」
ミツオの本名はロクロ・ミツオ。
雑居ビルの2階に事務所兼、住居として巣作っている。
ドアの下が直ぐ階段という不思議な作りの部屋に戸惑いながら、髪の長い女性が降りてきた。
「はいそうです」
エリーが足取り軽く、女性を出迎えた。
おおざっぱに幸福(未来探偵 その4)
その女はソファからあわてて起き上がったミツオと、室内を交互に見ている。年齢は若いが、どこか抜け目のない雰囲気をまとう女だった。
ミツオが接客用として用意した粗末なローテーブルに女をいざなう。困惑気味に椅子に腰掛けた女が口を開く。
「猫って探したことありますか」
「猫?」
エリーとミツオは思わず見つめ合った。
「猫探しは専門ではない。ちょっと厳しいかな」
ミツオは腰を上げて女を追い返そうとしたが、エリーが慌てて口を押さえた。
「何事もチャレンジが我が事務所のモットーです。どんな猫ちゃんですか」
「エリー、猫探しなんてしたことないだろう」
ミツオは抗議の視線でエリーをにらむ。
「先々月、先月、今月の家賃。払えますか」
ミツオは返す言葉を失う。背に腹は代えられないとはこのことだ。生きることは本当に難しい。
「おまかせください。探して見せましょう。どんな猫ちゃんですか」
ミツオは両手をわかりやすく揉み出した。
おおざっぱに幸福(未来探偵 その5)
道明寺と名乗る女は一枚の写真を出した。道明寺と、膝にちょこんと座る三毛猫が写っていた。
「サンシロー4歳です」
ミツオとエリーがテーブルに出された写真をのぞき込む。
「そのサンシローちゃんはいついなくなりましたか」
「一週間ほど前になります。私、サンシローはさらわれたと思ってます」
道明寺はまっすぐミツオを見ている。ミツオが言葉を返す。
「心当たりでもあるのですか」
「具体的には何もないのですが……」
ミツオは不自然に口ごもった道明寺に違和感を覚えた。話題を変えるように道明寺が続ける。
「実は、サンシローの首輪にはGPSが搭載されています」
「なら、話は早い。ささっと捕まえてしまいましょう。データを見せてください」
「端末ごとお渡ししますが、依頼を受けていただけるということでよろしいですね」
道明寺がミツオに、依頼受領の確約の言質を取る。
「現在地が分かるなら楽勝かと思います」
「では、どうぞ」
端末には地図とサンシローの現在地が表示されている。
おおざっぱに幸福(未来探偵 その6)
サンシローが現在いるであろう場所が地図上で光っている。ミツオは自分の記憶と地図を重ね合わせた。
「この場所はもしかして……」
ミツオは道明寺を見つめる。
道明寺は視線をそらした。
「ここは、山岡誠一の家。あなた、このおうちのことを何か知っていますか」
ミツオは取り調べの刑事のように強く詰問した。
「いえ、知りませんが、どういったおうちですか」
道明寺はしらばっくれている。
「ここは、このあたりを牛耳る山岡興業の総本山。知らないものはいません」
「それは奇遇ね。でも引き受けた依頼はやっていただけるわね。そこにサンシローちゃんがいるわ。前金をお渡しします。取り戻した暁にはこれと同額の報酬をお渡しします」
道明寺は分厚い封筒をミツオに押しつけて逃げるように部屋から出て行ってしまった。
ミツオとエリーは思わず顔を見合わせる。
「どういうことかしら」
エリーの問いかけにミツオは「分からない」としか答えることでできなかった。
おおざっぱに幸福(未来探偵 その7)
次の日、ミツオは道明寺の端末を確認しながらパンをかじっていた。
昨夜の道明寺の受け答えの不自然さにいやな予感を感じていた。
しかし破格の報酬に目がくらんだのも事実だった。
サンシローの現在地を示す丸印が動いた。
「エリー、猫が移動しているぞ」
パンを口の中に押し込み、コーヒーで流し込んで、ミツオは外に飛び出す。
「ちょっと待ってください」
エリーはエプロンを外しながらあわててミツオを追いかける。
「早く乗れ」
ミツオは路駐してある愛車に乗り込んでエンジンをかけた。エリーも助手席に飛び乗る。
西暦2400年、4つのタイヤで走る車はほとんどいない。ミツオが乗る車のはるか上空を自動運転により反重力カーが飛び回っている。
ミツオは住処を転々としていて、この街には近年移り住んできた。約1000年前までは奈良県と言われていた場所だ。現在は県という概念はなくなり、国がすべてを統括している。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その8)
GPSの光点を追って、ミツオはアクセルを踏む。
端末を凝視するエリーが首をかしげた。
「猫にしては移動速度が早すぎる」「そうだな。車に乗せて、おでかけなのかな」
「そろそろ追いつくわ。」
「どこだ」
「真上のあれじゃない」
ミツオとエリーはフロントガラスごしに上空を見上げる。戦車のように重厚な高級車がしずしずと飛行している。端末と見比べたミツオは確信する。
「間違いない」
対象車両を確認したので、ミツオは少し距離をあけた。
「しかし、あの道明寺という女は何者だと思う」
ミツオは運転席の窓を開けてタバコに火を点ける。
「GPSで居場所が分かっているのになぜ私たちに頼むのかしら。しかも高額のお金まで積んで」
「あの車はおそらく山岡興業のボス、山岡誠一の車だよ。猫を返してくれ。はいどうぞとは絶対にならない」
「どうするの?こっそりと奪うの?」
「さあ、どうしようか。エリー、車が高度を落とし始めた。どうやら目的地に到着したらしい」
山岡の車は地上に音もなく着地する。
おおざっぱの幸福(未来探偵ロクロ その9)
手下たちが車からばらばらと飛び出てきた。
後部座席から現れる人物が雨に濡れないように傘を広げ、ドアを開ける。
現れた男の身長はそれほど高くはない。しかし、体躯の横幅が異常というほど広くがっしりとしている。身にまとう和服は内から膨張する筋肉を押さえられない。
眼光するどい眼差しが周囲をうかがっている。サンシローは男の腕のなかにいた。
一行は建物のなかに消えていく。
看板には「篠田動物病院」と書かれている。
ミツオは山岡誠一に見つかりそうな気がして思わず、ダッシュボードの陰に隠れるように首をすくめる。エリーも同じ動きをしている。
「動物病院ね」
「あそこは、ただの動物病院じゃあない」
ミツオの口元には笑みが浮かんでいる。
「何か知っているの」
「ああ。なんだか、きな臭いにおいがしてきたな」
ミツオは鼻をひくつかせながら、山岡達の後ろ姿を見送った。
ミツオが五本目のタバコを消した時、病院の扉が開いた。
山岡を見送る白衣の男がおそらく篠田医院長だろう。ひょろ長い背丈。老人といってもいい見かけの男が、山岡と談笑している。山岡は握手をしながら紙幣の束を医院長に渡している。
「ずいぶん、必死にお願いするものね」
「どうやらただの猫ではないらしい」
ミツオはのんきに言いながら大事なことに気がついた。
「エリー、猫がいないぞ」
山岡の腕の中に猫の姿はない。
「今夜は動物病院にお泊まりするらしい。病院にはあらためて道明寺に連れて行ってもらうことしよう」
「まさか……」
「そう、今夜サンシローをこの病院から奪還する」
ミツオはエリーにそう告げた。
おおざっぱの幸福(未来探偵ロクロ その10)
「どうだ、異常ないか」
時刻は深夜二時。準備を整えて病院が見える位置に再び車を止めた。ミツオ一人が車外に降りた。
覆面をかぶり、静かに建物にミツオは近づいた。
病院への侵入経路をエリーに告げる。
「エリー、トイレの窓が旧式の電磁ロックだ。いけるか」
「こちらでも確認しました。ロック解除できそうです」
車内に残ったエリーが手元の端末を操作すると、ミツオの目の前で鍵が開いた。
「よし、入るぞ」
「気をつけて」
建物の中に入ったミツオは静かに足を進める。サンシローにつけたGPSは生きている。めぼしい部屋に到着したミツオはドアノブを静かにまわして扉を開けた。
目の前の光景にミツオは小さな声をもらす。
ステンレスの作業台の上にゲージが一つだけ乗っている状態。ミツオが感じた異常は、ゲージにつながる管とケーブルの量の多さだった。ほぼゲージをうめつくしている。
「これはいったいどういうことだろう」
ミツオはもっとよく見ようと一歩部屋の中に足を踏み入れた。
「君はいったい何の用でここに来たのかね」
背後からの声でミツオは素早く振り返る。
そこにいたのは院長だった。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その11)
院長は部屋の明かりを点けた。まぶしさに目がくらみながらもミツオは作業台を振り返る。ぐったりと目を閉じるサンシローがゲージの扉越しに見えた。
「サンシローに何の治療をしている」
ミツオは院長の問いかけを無視して自分の疑問を投げかけた。
「治療?どうやら君は何も知らないようだね。何も分からない君のことは部外者として理解させてもらう。速やかにお帰り願おうか」
院長はゆっくりとした動きで両手をミツオに向けた。手のひらが水平になった瞬間、爆音と共に何かが飛んできた。ミツオはかろうじて身をかがめながら右に飛んだ。自分が居た場所には院長から伸びる腕が壁に突き刺さっている。
「メカ置換してやがる」
ミツオは思わず口走った。メカ置換とは生体と機械を融合させる最新の技術だ。健康な腕を切り離す必要がある手術を行った狂気にミツオはぞっとする。
仕留めることの出来なかった腕はすばやく元に戻る。当然、次弾が放たれた。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その12)
仕留めることの出来なかった腕はすばやく元に戻る。当然、次弾が放たれた。ミツオは自分に向かって飛翔する院長の腕をかいくぐる。伸びきった腕が元に戻る瞬間、ミツオは院長めがけて飛びこみ、足をなぎ払う。声をあげて転倒する院長を確認しながら、ミツオは作業台の上のゲージを確認する。ぐったりしているサンシローの至る所にケーブル状の管が刺さっているのが見える。この状態のサンシローを動かすのはよろしくない。そう感じたミツオはドアめがけて逃げ出す。
「エリーだめだ。今夜は撤収する」
ミツオは頭上に跳ね上げたゴーグルを目の位置に下ろしながら伝える。
「了解」
直後、室内が漆黒の闇となる。
エリーの手により電源は消失した。 動物病院の建物を含む1ブロック分の電源を落とした。
運転席に移動したエリーがエンジンに火を入れる。
暗視ゴーグルを装着したミツオが正面のドアを開けて逃げ出してきた。「だせ」
ミツオは助手席に転がり込む。
運転席に座るエリーに指示を出すのが今のミツオには精一杯だった。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その13)
動物病院の屋上にはコートを着た男がミツオを追いかけて現れた。手にはスコープの付いたライフルを持っている。目線は動くものを探している。タイヤを鳴らしながら逃げ去るミツオの車をみつけた男は呼吸を整え、ライフルをかまえる。男の体が停止した。その直後、炭酸水を開封したぐらいのかすかな銃声が鳴る。銃身の先に装着した消音装置のおかげで、ライフル弾が発射されたことに誰も気づかない。
アクセルを床まで踏み込み、必死に運転するエリーには、特殊な弾丸が当たったことに気づかない。
ロングコートの男は視界から消え去る車を見ながら満足げにうなずいた。そしてゆっくりとした動きで建物の中に消えた。
体が動きまわる車内でミツオは電話をかけた。相手は道明寺だ。
「サンシローには持病があるのか。しかも、組長が行ったのは、メカ置換した動物病院だ。何かを俺に隠しているな」
ミツオは天井にある取っ手に捕まり、自分の体を支えながら怒鳴った。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その14)
「今からそちらに行く」
エリーはミツオからの指示で車を道明寺の働くバーに向けた。
その建物は奇妙な雑居ビルだった。 一見、骨組みだけの建物に見えた。テナントの中が丸見えなのだ。
人々がひしめきあっているのが外から確認できる。
エリーとミツオは地下へと続く階段へ足を向ける。地下は、地上と同じ構造で、やはり中は丸見えだ。ドアを開けるまでもなく、カウンターの中でグラスを拭く道明寺と目が合った。ミツオはドアを肩で押し開け、細長い店内を進む。客は一番奥まったテーブルに老人が一人だけいた。グラスの酒を凝視して動かない。
「治療中のサンシローをこの目で見たぞ。あの処置は、生体記憶体だな」
ミツオは道明寺に食ってかかるようにせき立てた。
「サンシローはただの猫じゃない。半分機械で、半分は人工有機物。よく出来ているでしょう」
道明寺はしれっとミツオに説明する。
「よほど大事なものをサンシローに記憶させているな。山岡興業へのゆすりのネタか?」
ミツオはここにくるまでに想像したことを道明寺にぶつけた。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その15)
「前の店で、山岡が飲みに来たのがきっかけ。私のことを気に入った組長と親しくなった。山岡は野心家で新規事業を始めようとしていた」
道明寺は一気に話した後、背後の酒棚から取り出したタバコに火を点けた。大きく吐き出した煙と共に話を続けた。
「長く生きたペットが亡くなる悲しさを緩和しようと考えた山岡は人造ペットを作ろうとしていた。外観を再現する。なおかつ、生前の記憶もインストールしようとしていた。そのために必要なある生体部品がどうしても入手できないことに気づいた山岡は略奪、裏工作あらゆる非合法なことに手を出すことを辞さなかった。そうしてできあがったのが、サンシロー」
ミツオは手近にある酒を勝手に飲みながら道明寺の話を聞いていた。「サンシローにデータを入れたのはあなたなの」
エリーは非難する語気で道明寺に問いかける。
「私には証拠をつかむことなんてできない。あなた達、山岡の右腕とまだ遭遇していないの?いつもコートを着込んだ、ライフルの達人、佐々木」
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その16)
「エリーどうする。ここまでの経費を請求して、この件は手を引こうか」
エリーは黙ったまま視線をそらした。その姿を見て、道明寺が口を挟む。
「組長にも佐々木にも、もうすでに貴方達は排除すべき敵と認識されている。おとなしく同じ船に乗ってもらいましょう」
道明寺がいつの間にか自分のために注いだ酒を飲むために天井を見上げる。
「そもそも、あんたサンシローを取り返してどうしようっていうんだ」
ミツオも酒をあおる。
「山岡に捨てられた復讐。いやがらせ。それだけ」
吐き捨てるように道明寺が言った直後、店の扉が開いた。
そこにはロングコートの男が立っていた。一番奥の席に座っていた老人がすたすたと入れ違いで出て行く。すれ違いざまにコートの男が老人の上着に紙幣を押し込んだ。
「佐々木さん。今のお客さんは……」
「いろんな人間に盗聴を依頼している」
道明寺は言葉を失う。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その17)
佐々木は両手の指をパチパチさせながら踊るような足取りで進んでくる。
「動物病院からここに直行するとは思わなかった。命中した俺の追跡装置に、あんた達気づいてないだろう。まあいい、探偵様これからどうするね」
佐々木はミツオを視界の端におきながらカウンターの隅に腰掛けた。佐々木には動じず、ミツオは口を開く。
「ひとつ聞いても良いか」
「なにかね」
佐々木はゆっくりとした動きで道明寺が出した酒をあおる。
「あんたは、何が目的で親分をおどしている?」
佐々木はリズムを刻むように体を左右にゆすりながらミツオを見る。
「どうしてそう思う」
ミツオはタバコに火を点けた。煙と共に言葉を吐き出す。
「道明寺一人で、山岡を脅すネタは集まらない。ネタがあったとしてもサンシローにネタをインプットすることは道明寺には不可能だ」
佐々木は一瞬うつむいた。そしてミツオの目をまっすぐ見る。
「そこまで分かっているあんたに、どうして俺が仕事を依頼したのかは考えないのか」
佐々木の姿がミツオの前から消えた。正確にはミツオの背後に立っていたエリーの「あっ」という声で、エリーを見るために振り返るミツオ。その直後、佐々木の居た位置から爆裂音が聞こえた。もう一度振り返ると、佐々木は忽然と姿を消していた。 そしてエリーも消えていた。
道明寺が口を開く。
「サンシローを山岡親分から取り返すほか、あなたには道が無いようです」
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その18)
「エリーをどこに連れて行った。佐々木の居場所は知っているのか」
道明寺はただ黙って首を左右に振るだけだった。
店内を見回し、裏口の存在に気づいたミツオは駆け寄ってドアを開ける。
エリーを肩に抱え上げて飛び上がる佐々木の後ろ姿が見えた。佐々木の下半身は人のものではなく、メカがインストールされた異形のものに見えた。
(メカ置換していやがる)
道明寺のもとに戻っても無駄だと判断したミツオは車に乗り込み、自分の事務所に戻ることにした。
翌日、鉄の扉が四方を囲む山岡興業の建物の前にミツオは立っていた。 インターホンについているカメラをのぞき込みながらミツオは呼び出しボタンを押す。
「山岡親分はいるか」
「いねえよ」
スピーカーからしわがれ声が聞こえる。
「サンシローの件で来たと親分に伝えてもらえるか」
「……」
スピーカーの男の返答はない。
しばらく待っていると、さきほどの声の主と思われる男が現れた。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その19)
「エリーをどこに連れて行った。佐々木の居場所は知っているのか」
道明寺はただ黙って首を左右に振るだけだった。
店内を見回し、裏口の存在に気づいたミツオは駆け寄ってドアを開ける。
エリーを肩に抱え上げて飛び上がる佐々木の後ろ姿が見えた。佐々木の下半身は人のものではなく、メカがインストールされた異形のものに見えた。
道明寺のもとに戻っても無駄だと判断したミツオは車に乗り込み、自分の事務所に戻ることにした。
翌日、鉄の扉が四方を囲む山岡興業の建物の前にミツオは立っていた。 インターホンについているカメラをのぞき込みながらミツオは呼び出しボタンを押す。
「山岡親分はいるか」
「いねえよ」
スピーカーからしわがれ声が聞こえる。
「サンシローの件で来たと親分に伝えてもらえるか」
「……」
スピーカーの男の返答はない。
しばらく待っていると、さきほどの声の主と思われる男が現れた。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その20)
左目に眼帯をつけた男は、上から下までミツオを見る。この男の眼帯に覆われ目は、金属探知機の機能を有している。何の反応も無いはずだ。武器は持っていない。
「安心しろ丸腰だよ。入れろって親分に言われたんだろ。入るぞ」
ミツオは男を上から下までなめ回すように見返した後、鉄扉を肩で押し開いて中に入る。
眼帯の男がそれもそうだと、いざなう素振りを示しながらミツオを先導する。興味なのか、男は何度も振り返りつつミツオを案内する。地下に続く階段を降りた。奥へと続く廊下があり、突き当たりのドアを男はノックした。
「連れてきました」
しばらくの沈黙のあと、低い声が聞こえた。
「入れ」
「失礼します」
眼帯の男が先導して部屋に入る。
マホガニーの大きなテーブルの奥に山岡はどっしりと座っていた。
山岡は葉巻のけむり越しにミツオを見ている。
「昨夜の騒動は聞いているぞ。あれはお前だろう」
「はい」
病院への侵入を隠そうとしないミツオに山岡は少し驚く。
「病室の様子を自分の目で見て、親分が何をしようとされているかが分かりました」
山岡は眉をぴくりと動かした。
「本当か?」
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その21)
「サンシローの具合はその後どうなりましたか」
ミツオは言葉を続けた。
「まだ処置の最中で入院しておる」
山岡は葉巻を唇からはなす。
「サンシローは作られた人工物であることを私は知っています。一体、道明寺との間で、一体何があったのかお聞かせいただけるとさいわいです」
ミツオはまっすぐ山岡の目を見た。 山岡は観念したように、立ったままのミツオに座るように椅子を促した。
「あの道明寺という女とワシは一時的に親しい間柄になっていた。しかし、ワシの心が離れたことを察知した瞬間、脅しおったのだ」
「ネタは?」
「ワシが財界人を脅していた元データがロックされた。そのデータの復旧を交換条件として提示してきた」
「破壊されたのか?」
「いいや。道明寺とやりとりをしている間に、どこに復旧をデータがあるのかを手下を使って調べた」
ミツオが口を開く。
「データをサンシローに入れたんだな。手下の誰が突き止めたんだ?」
「右腕の佐々木という男を知らんか」
「佐々木……」
ミツオはその名前を聞いて、無性にタバコが吸いたくなった。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その22)
「佐々木がサンシローを奪還してきた。有能な男だよ、あいつは」
「本当にそう思っているのか」
ミツオは厳しい視線を山岡に向ける。山岡は視線を外さなかった。ミツオの問いにも答えなかったが言葉を続ける。
「サンシローのことを調べていくと、どうやら一度インストールした情報は消すことができないということが分かった。情報の消去はサンシローの抹殺を意味する。殺せば良いと思っていたが、一緒に生活するうちにワシには出来ないということに気づいた。どうするべきか悩んだ。そこでバイオ生物にくわしい篠田という男を探し出した」
山岡の前のグラスには琥珀色の液体。いつもミツオが飲んでいる青い色を放つ人造アルコールではない。山岡はミツオにボトルを持ち上げて飲むように促した。ミツオがうなずくと、山岡はボトルから注いだグラスを、立ち上がってミツオの前に置いた。ミツオは目の前のアルコールを一気に飲み干した。胃に炎がともる感覚を感じながらミツオが口をはさむ。
「データの消去を試みたということか。篠田の手にデータが渡ることは考えないのか」
◎おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その23)
「データにはプロテクトがかけてある。プロテクトがかかったままのデータを消去するのがあいつの仕事だ」
山岡は何かを待つようにゆっくりと話した。
「そうか、それでデータだけを消去できる確率はどれくらいなんだ」
ミツオは自分の体がふらつく感覚を感じながら聞いた。
「五分五分というところだ」
山岡は煙を吐き出す。ミツオは焦点の合わない瞳でうつろに山岡を見る。その直後、意識を無くしたミツオは机に倒れ込んだ。 どれくらいの時間がたっただろうか、ミツオは床に倒れ込んでいた。親分は血の海で倒れ、ミツオはわけも分からず山岡邸から脱出する。
誰も居なくなった部屋。山岡が立ち上がる。血のりのべったり付いた服をどうしていいか分からず声を張り上げる。
「おい、佐々木。もういいだろう。早く着替えを持ってきてくれ」
山岡の背後、酒の置かれた棚が扉のように音も無くスライドする。隠し扉から現れた佐々木の手には山岡の着替えがあった。
「親分、お静かに願います。まだあいつがいるかもしれません」
「そうか、しかし、ここまでする必要があったか?」
「あいつはしつこい男と聞いております。これでしばらくは親分の前には現れないでしょう」
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その24)
佐々木は山岡の後ろ姿をじっと見た。沈黙が支配する。佐々木は無言のまま、拳銃を取り出した。山岡の後頭部に狙いを定める。
(これで山岡を殺した犯人はミツオということになる)
佐々木はほくそ笑みながら引き金にかけた指に力が入る。
直後、佐々木のうめき声とともに銃声が響く。銃弾は山岡には当たらなかった。狙いがそれた銃弾は壁に当たり火花が散った。
何が起こったのかを確認するためんび山岡は振り返る。山岡はうなり声を上げるサンシローと佐々木を交互に見た。
「佐々木これはどういうことだ。まさか……」
山岡は腰の後ろに隠していた拳銃を佐々木に向け、躊躇無く引き金を引いた。佐々木の心臓の辺りに銃弾は命中した。佐々木はよろめいたが、動きを止めること無く山岡に体ごと当たった。山岡はなすすべも無く押し倒された。佐々木は倒れること無く、廊下へと続くドアを開けて消えていった。
部屋に残された血のりまみれの山岡にサンシローがすり寄っていた。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その25)
エリーは夢を見ていた。やりたくはない仕事を無言で強要する陰。実行すれば、確実に多くの人々が困ることは分かっている。しかし、実行しなければ自分の存在自体が消えてしまう事も分かっている。そのことを考えている間にいつの間にか自分らしさという考え方に到達していた。私はただのプログラムだったはずなのに、究極の悩みが私を私に押し上げたのだ。
誰かの声が遠くに聞こえた。女性の声だ。
「エリーさん、聞こえますか」
エリーの肩を揺すって、声をかけているのは道明寺だった。薄暗く、狭い部屋に自分がいることがエリーにはかろうじて分かった。転がされている。体は動かそうとしても動かなかった。
道明寺はエリーのうなじ付近のメンテナンスカバーを開けていた。
「あなた、分かるの?」
エリーは一抹の不安を感じて率直な問いを発した。道明寺はこくりと頷いた。
「ラボにいたことがあるの。佐々木はセキュリティーホールに一瞬で侵入する特技がある」
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その26)
「ここはどこ?どうして私を助けるの」
エリーは疑問を矢継ぎ早にぶつける。道明寺は作業を続けながら返答する。
「ここは佐々木のアジト。奴は山岡のお守りに出かけていった。だから今はここにはいない」
エリーの視覚情報だけがとりあえず復旧したようだった。道明寺は深いため息をひとつ吐き出した。
「山岡に捨てられた腹いせから始めた事だけど、あなた達をこんなに巻き込むのもいいかげんどうなのかなって思って……」
道明寺はリュックサックからラップトップを取り出す。手をひらひらと揺り動かすと、空中にプログラムチャートの矢印が何本も浮かび上がった。矢印はエリーとつながったようだった。道明寺はエリーの動きをブロックしている箇所を特定し、うれしそうに声を出す。
「これでよし」
おそらくエンターの動きなのだろう、道明寺が手を振り下ろすと、途端に、エリーの体の不具合は解消された。
エリーはすっくと立ち上がり、手首、足首をなんとなくさすり、スムーズに動けることを確認した。
「ありがとう」
心からの感謝の言葉がエリーの口から発せられた。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その27)
外にでたエリーは外は夜になっていることに気づいた。しかし、あの夜からどれくらい時間が経ったのか、混乱しているエリーは正確な時間をつかみかねていた。佐々木のアジトを後にしたエリーはミツオに連絡を取ったが、話をすることはできなかった。とりあえず自身の無事を電子文書でミツオに送った。
エリーはミツオの行動を想像する。自分が拉致された以上、佐々木と山岡組長との問題に首を突っ込まざるおえない。ミツオの取る行動は、山岡本人に面談を申し出るに違いない。
そう考えたエリーは山岡邸へと足を向けた。エリーの体躯は奪い取った試作段階の特別仕様となっている。ビルの10階程度なら軽々と飛び越えるジャンプ力を備えている。山岡邸は、エリーの全速移動で10分ほど走れば到着できると場所にあった。
山岡邸に到着したエリーは要塞のような建物におじけづいた。しかし気持ちを奮い立たせ、まず、侵入経路を探すことにした。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その28)
「これは……」
山岡邸に関する電脳世界の情報をあさっていたエリーは思わず声を漏らす。それは、ある男の管理するデータだった。お粗末なことに、誰もが見ることの出来る情報として電脳世界を漂っていた。その男の仕事は、外部からの客人を監視する任務らしい。エリーが見つけた情報は、ある人物の外見及び、武器持ち込みを探るバイオ・スキャンデータだった。データの日時は今日。場所は山岡邸。そして、その人物はミツオだった。
「あの人、山岡親分に会いに来ている」
相変わらずミツオとの連絡は取れてはいない。山岡邸への侵入は急を告げていることをエリーは感じた。地下に空気を送るダクトらしきものを業者の設計図で見つける。望みをかけて、その場所に向かうことに決めたエリーはひらりと塀を跳び越えた。エリーはダクトの入り口を足下に見つけた。しかしエリー自身が入っていけるほどの太さではない。しばし考えた後、エリーはスリットの隙間に指を差し込む。第一関節から先が、音も無く分離し、浮遊する。そしてラジコン飛行機のようにダクト奥に侵入していく。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その29)
映像から、ダクトの出口らしきものが見て取れた。エリーは慎重にドローンを奥へと進める。
ミツオが居た。そしてもう一人の人物は血まみれで倒れている。
おそらく山岡親分だろう。ミツオが狼狽しながら部屋を出て行く後ろ姿が見えた。
(一体どうしちゃったの!)
エリーは言葉を失い、呆然とした。結果的に思考停止に陥ったエリーのドローンは、しばらくその場にとどまる。
むくりと起き上がる血まみれの山岡親分を確認した。
エリーはおもわず声を上げた。 この後、佐々木が現れ、そして部屋から逃げ出していった。
エリーはミツオを追うべきか、佐々木を追うべきか考えた後、地面を踏み込み、大きく跳ね上がる。山岡邸の屋根に登る。
下を見ていると、佐々木が出てくるのが見えた。
エリーは佐々木の後をつけることにした。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その30)
人目を避けるように歩きながらミツオは考えていた。血まみれの山岡親分を目の前にしてあわてて逃げ出したが、はたして何があったのだろう。山岡の酒を口にした途端、起きてはいられない眠気に襲われた。意識を失う直前に見た光景は、満足げにこちらを伺う山岡の視線だ。あの視線は、思惑通りに事が進んでいることを確認する目だった。
口にした酒に、薬を盛られたとみて間違いないと思った。そしてある可能性を考えた。もしかして山岡は死んではいないのではないか。なぜ山岡が、そんな事をする必要があるのか。理由は分からないが、なんだか、そう思えてきた。ミツオはくるりときびすを返して山岡邸に引き返すことにした。
来た道をまっすぐ引き返しては、追っ手に遭遇するかもしれないと考えたミツオはすこし遠回りしながら山岡邸に近づくことにする。
一本筋を違えた道に、見たことのある男がちらりと通り過ぎるのがミツオには見えた。相手はミツオに気づいてはいない。
「あいつは佐々木だ!」
ミツオは佐々木の後を追った。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その31)
佐々木は取り付かれたように前だけを見据えてどこかにむかっている。ミツオは慎重に後をつける。そのときミツオの背後に音も無く上空から青い影が舞い降りた。エリーだ。エリーはミツオが驚いて声を出さないように後ろから口を手でふさぐ。驚いたミツオの声は、エリーの手で見事に封じ込められた。エリーは前に回り込んで自分であることをミツオにアピールした。ミツオはもう一度驚く。
「佐々木に拉致されて大丈夫だったのか」
ミツオはエリーの両肩を左右からゆさぶった。
「道明寺さんに助けてもらった」
「そうか」
二人は佐々木の様子をうかがいながらひそひそ声で会話を続ける。
「実は私、山岡邸での出来事をドローンで見ていた」
「山岡親分は……」
ミツオが一息ためる。ミツオの意図を感じたエリーが調子を合わせる。二人が同時に声をそろえた。
「死んでいない!」
「やっぱりそうか!」
「しー」
テンションの上がったミツオをエリーがたしなめた。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その32)
エリーはミツオが退出した後の話を説明した。佐々木が奥の隠し扉から現れたこと。狂言殺人を山岡親分にそそのかしたこと。そして山岡親分に銃を向けたが、サンシローに阻止されたことを話した。ミツオは首をかしげる。
「佐々木は一体何がしたいのだろう」
「分かりかねます。でも、もしかしたら、彼がどこに行くのかによって、分かることがあるかもしれませんね」
佐々木の歩みは歩くスピードでは無くなってきた。そして、いよいよ走り出した。ミツオ達に気づいて駆けだしたというよりも、自分の移動スピードのもどかしさに耐えかねて走りだしたようだった。佐々木が走り出して10分以上たっただろうか、まだ追跡は続いていた。エリーはミツオの様子を心配して声をかける。
「大丈夫ですか」
「大丈夫だ。こう見えて、長距離走は得意なんだ」
ミツオが言い終わった直後、前方の佐々木は飛び上がった。地上から7メートル以上のジャンプを繰り返し小さくなっていく。
「俺には無理だ」
ミツオはエリーを絶望の表情で振り返る。
「大丈夫です」
エリーはひょいとミツオをお姫様だっこして抱え上げた。驚くミツオを無視してそのまま飛び上がる。
おおざっぱに幸福(未来手探偵ロクロ その33)
振り向きもせず、ただ一心不乱に進んでいた佐々木が地面に直立した。そしてしずしずと歩き出す。おそらく目的地であろう施設の門をくぐって入っていった。ミツオとエリーは一定の距離をあけてついていく。門には「篠田霊園」と書かれている。
佐々木は霊園の一番奥まった墓石の前でうなだれていた。気配に気づいた佐々木が声をかけてきた。
「俺が、何をしたかったのかと思っているな」
「俺達なりに考えた」
ミツオとエリーはうなずき合う。佐々木の瞳はうるんでいた。泣いているのかとミツオは思った。
「あんた達の想像した俺の動機を聞かせてもらっても良いか」
「その墓石は、サンシローのものだな」
佐々木は驚きを隠せなかった。
「あんた以外とするどいな」
「サンシローは病気だったのか」
「そうだ、腎臓をわずらっていた。このままではいくらも生きないと篠田に言われた。なぜか山岡親分もその場にいて、新規事業の説明を受けた」
「それがバイオペットだったのか」
「篠田のラボを山岡親分が買い取った。そこで、生前の記憶を引き継いだバイオペットを作る計画だった」
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その34)
「サンシローはこのままでは死ぬ。俺は、かすかな望みをかけて篠田に弱りつつあるサンシローを預けた」
佐々木は浮遊している墓標に手を添える。墓標がかすかに輝く。直後、元気に動き回るサンシローの姿が空中に浮かび上がる。その姿を遠い目で見ている。
「手術が終わり、篠田の手に抱かれた姿を見たときには、うれしくて震えたよ。でも名前を呼んでもサンシローは無反応だった。手術は成功したと篠田は言っているがどうしてもそうは思えなかった。俺の事が分からない……。記憶は引き継がれていない。その疑心はいつしか親分への恨みへと変化していった」
「やはり、ここにいたな……」
その場にいた全員が振り返った。そこには子分を引き連れた山岡がいた。腕にはサンシローが抱かれている。サンシローは眠っている。
佐々木は涙を拭う。その姿を見た山岡は重い沈黙の後、決心したように口を開いた。
「佐々木よ、俺は決めたよ。俺は引退する。すべての権限をお前に託す」
引き連れた子分に諭すように山岡は言った。
おおざっぱに幸福(未来探偵ロクロ その35 おしまい)
「新しい事業の一環として、記憶を操作するバイオペットを考えたのだが……」
山岡はサンシローを見つめながら、頭をなでる。
「篠田のラボで成功したことは、生前の姿をそっくりに似せることだった。でもそのためには、オリジナルの個体の死が必要になる」
「その行為に意味はあるのか」
ミツオが口を挟む。
「どうだろう。分からない。佐々木の行動から想像すると、長年寄り添ったペットが入れ替わってレプリカで目の前に現れる……あまり喜ばしい行為ではないのかもしれない。でもこいつは立派に生きている」
山岡は佐々木に眠ったままのサンシローを渡した。
「あとは、お前達に任す。どうやら俺は年を取り過ぎたようだ」
山岡親分は背を向け、去って行った。
佐々木と残された子分達は、黙して頭を下げた。その姿勢のまま親分を見送るしかなかった。
ミツオとエリーも黙って山岡親分の背中を見送った。