霧中(その1)

 

 グラスの中で液体が青い光を放つ。種類はアルコールだが、全合成された人工のものだ。ろくでもないものだが、酔うためにはこれしかない。 ミツオは酩酊した目でグラスを眺める。懐からタバコを取り出す。とたんにメタリックに輝くバーテンが指摘する。

「店内禁煙」

 生身の人間が働く姿を見ることは少なくなった。

 オンラインで人とはつながっているが、目の前のバーテンは機械だ。

「そうだったな」

 ミツオはおぼつかない足下を引きずるように立ち上がるり、店外へと続く扉に手をかける。

 少し開けた扉の隙間から、我先にミルクのような湿気をはらんだ外気が店内に流れ込む。

 外は雨。

 やまない霧雨はいつしか、はれない霧を呼び、2メートル先が見えない街となった。

 店内も禁煙だが、外だって喫煙禁止エリアなのだ。

 どうしても吸いたいミツオは、店外へと足を運んだ。

 よれたタバコをくわえて、ライターからほとばしる巨大な火でタバコに着火する。ふかく吸い込んだ煙をうまそうに吐き出した。

 

 赤と青のフラッシュがミツオを襲う。

「喫煙禁止エリアです」 

(今日は早いな)

 ミツオは驚きもせずにタバコを吸う。はるか上空から聞こえるサイレンと警告を無視してミツオは悠然と煙を吐き出す。

(どうとでもなれ)

 タバコを挟んでいる指先をかすめるように鉄の板がミツオの視界を奪う。その板は四枚あり、ミツオを棺桶のように取り囲んでいる。

「喫煙状況に変化なし。排除します」

 人工音声は最後通知を、密閉された空間にいるミツオにつげる。髪の毛が吸い上げられる感覚を感じた次の瞬間、ミツオは吸い上げられる感覚を感じていた。

(やばい、連行される)

 西暦2400年、ある夜の出来事。

霧中(その2)

 

 これから起こることをミツオは理解していていた。鉄の棺桶にとらわれた人間は、空中に滞留する装置に吸い上げられ、当局に連行される。

(どうとでもなれ)

 ミツオは諦めた様子でもう一息、深くタバコを吸い込み、煙を盛大に吐き出した。

 髪の毛が逆立つ。巨大な扇風機が足下から風を吹き出しているような錯覚に陥る。足裏に地面の感触がなくなる。

(連行される)

 そう覚悟を決めた瞬間、取り囲んでいた鉄の板が音を轟音と共に四方に倒れた。

 流れ込む濃霧が視界を奪う。

 ミツオの前には黒髪の少女が立っていた。

 少女の手にはなにがしらの端末を両手で持っている。しなやかな手先でキーボードをたたいている。

「君がやったのか?」

 ミツオは上空を確認しながら聞いた。上空の拘留装置はよろよろと西の空に消えていく。

「あなた、探偵なんでしょう。頼みたいことがあるの」

霧中(その3)

 

 ミツオは足下に転がる捕獲ユニットの残骸をしげしげと眺めながら少女を見た。少女は何でもないわと言わんばかりにまっすぐミツオを見ている。

「これは君がやったのかい」

「そうに決まってるじゃない」

 少女はどうってことないと胸を張

「俺に頼みたいことってなんだ」

 ミツオの職業は確かに探偵業をいとなんでいる。しかもきな臭い事案ばかりが舞い込むたぐいの人種だ。

「明日、東方室Aに来てくれたら分かる」

「東方室A?先月できた当局の出先機関へか?」

「そうよ。断ることはできないはずよ。貸しがいっこ出来たでしょ」

 そういった少女はくるりと背をむけて駆けだした。

「おい!名前だけでも聞かしてくれ」

「エリーよ」

 少女はミツオを振り返りもせず走り去った。

 まるで霧中の夢みたいだなとミツオはつぶやいた。

霧中(その4)

 

 翌朝、ミツオは東方室Aのビル前に車を止めた。水平方向に飛び出したブロックがねじれながら幾重にも積み重なる建築物。うわさではそれぞれの先端に外敵を狙うレーザーが隠されているという噂がまことしやかに流れている。

 ミツオの車は化石燃料で走るオールドカー。当然、オートパイロットではない。霧中で運転するのは至難の技だが、自分の行動がすべてわかってしまう車には乗れなかった。  ミツオは車窓ごしに外を見る。

 午前中だというのに昨夜見た景色とほぼ同じ、薄暗い。

 細かな雨が降り続き、街灯はぼんやりと辺りを照らしている。

 エリーと名乗った少女はどうしてこの建物に呼び出したのか。

 東方室Aは、政府の出先機関ということしか分かっていない。具体的に何を取り締まっているのか、ミツオでさえ知らなかった。気持ち悪さを感じながらも少女のまなざしが気になって依頼を聞いてみようと、ここまでミツオは足を運んだ。

 車外にでたミツオはゆっくりとした足取りで入り口らしいドアに足を踏み出した。

霧中(その5)

 

 ミツオはジャンパーにまとわりつく水滴を手の甲で払い落としながらガラス張りの扉の前に立った。まるで来るのが分かっていたかのように音もなく扉は左右に開いた。

 薄暗い廊下の奥から滑るように受付ロボットがやってきた。

「本日ご来庁のアポイントメントはございますか?」

 無機質に点滅するライトがミツオを射すくめる。

「アポはある」

 昨夜、エリーにここに来いと言われているのだから、アポはあるのだとミツオは思った。

「そうですか。それではあなた様のお顔をスキャンさせていただきます」

 案内ロボはこちらの承諾を確認する前に帯状に青白く光るライトを照射し始めた。

霧中(その6)

 

 ミツオは自分の顔を足下にいるロボットに向けた。ロボットの目から青白く光るライトが照射され、まぶしくて顔をしかめたと同時にロボの口から紙が吐き出された。ロボットは自らが吐き出した数枚の紙を器用に手のひらで受け止めている。

「お待たせいたしました。どうぞお受け取りください」

 ミツオは書類を受け取りながら口を開く。

「エリーが何者なのか教えてくれないか」

「お答えしかねますが、強いて言えば、大きな意味での仲間でしょうか」

「仲間ね……ちなみにもう一つ聞くが、この建物で一体何が行われているのか教えてくれないか」

「かしこまりました。お教えします」

 再び書類が口から吐き出される。少しびっくりしながらミツオは書類を受け取る。

「教えてくれるのか」

「はい、秘密主義からの脱却が現知事の方針です」

「そうか。ありがとう」

 ミツオは後ろで閉まるドアを振り返りながらやれやれと首を振った。

霧中(その7)

 

 ミツオはフォグランプを点ける。視界が黄色に支配される。直列6気筒のエンジンに振動は無い。クラッチを踏み込み、ギアを入れる。四個のタイヤで地上を走る車は、ミツオの車以外ほぼいない。10メートル上あたりの空では結構な早さのビーグルが行き来している。自動運転で制御された物体に視界は必要ない。

 のろのろとした速度で車は、目的地に到着した。

「ひさしぶりだね」

 引き戸に連動したカウベルがカランコロンと鳴る。そのベルの音に紛れて店主のカオリが声が聞こえた。正確な年齢は知らないが、おそらく同世代だとミツオはかってに思っている。なかなかの美人だが、男のうわさは聞いたことがない。カオリの店には誰かしらいるのだが、今日は時間がまだ早いらしく、客は誰もいなかった。

「いつものおねがい」

ミツオは一番奥の席に座る。いつもの席と決めていた。

霧中(その8)

 

 エリーからの書類には画像が添えられていた。Tシャツ姿の筋肉質で精悍な若者が写っている。「権堂つよし33歳」職業はアリスコーポレーションに勤務するシステムエンジニア。

 半年前からこの人物と連絡が取れなくなった。消息を確認することが依頼内容だ。

 エリーの見立てでは、半年前から新しい取引先としてハバナ社との関係が始まっている。ハバナ社との間でトラブルがあったのではないかと彼女は考えているらしい。

「おまたせ」

 カオリがホットドッグと大きなマグカップに注がれたコーヒーを持ってきた。

 まずは腹ごしらえをしてからとミツオは紙ナプキンを首元に挟み込んだ。

霧中(その9)

 

 カオリに見送ってもらったミツオは、探すべき人物「権堂つよし」が務めている会社アリスコーポレーションに車をつけた。

 カオリの店でホットドッグを食べながら調べた情報をミツオは思い出している。

 アリスコーポレーションは近年「Eシステム」という革新的なソフトを開発して業績を伸ばしている会社らしい。そのプロジェクトのリーダーが「権堂つよし」ということがわかった。

 ミツオは社内の人間に直接話を聞こうと自動ドアをくぐった。広大なエントランスに人はいない。カウンターにはモニターが一台あるだけだ。つかつかと歩み寄ったミツオは呼び出しボタンを押す。

(アポイントメント・コード入力をおねがします)

 アポの無い人間は取り合ってもまらえないらしい。

 ミツオはアリスコーポレーションは後回しにして、権堂の住まいに向かうことにした。 

霧中(その10)

 

 夕闇へと向かう時間。

 霧、こまかい雨は降り続く。

 ミツオは権堂のアパートに到着した。十階建てのビルは威圧感を放ってそびえ立っている。

 オートロックに阻まれたドアの向こうにホウキとちりとりを手にした人物がいた。ミツオはドア越しに名刺を見せて面会を頼んだ。

「なんでしょうか?」

 人の良さそうな初老の男性が外に出てくれた。

「202号室の権堂さんはご存じですか」

「権堂さん……知るも知らないもないですよ」

「といいますと?」

「家賃滞納、音信不通、夜逃げ。どうもこうもないですよ。あなた権堂さんとどういった関係?」

「私も権堂さんの行方を捜しております」

「こっちが知りたいぐらいですよ」

 

 大家とミツオのやりとりを観察する車が一台。

霧中(その11)

 

 その後、大家と話した権堂という人物像はあまりいい人種ではないということが分かった。借金の返済に追われて、いつもがらの悪い輩に囲まれている場面を何回も目撃しているらしい。ミツオが手がかりの無さに、頭を抱えながら自分の車に戻る。「どう、なにかわかった」 

 ミツオは飛び上がって驚きながら声の方を見る。車から少し離れた位置にいたのは、傘もささずにたたずむエリーだった。聞きたいことは山ほどあったが、冷静をよそおいミツオは口を開いた。

「今のところ何も分からない。権堂は夜逃げ中、実績のある男が、どうしたっていうのだ。仕事の方はどうなってる」

「無断欠席が続いて、もうすぐ解雇扱いになる」

 捜索の依頼主であるエリーがあまり関心のないように見えるのがミツオには不思議だった。

「君と権堂はどういう関係?」

「権堂は良いことにも、悪いことにも私と関係がある。そして悪いことの方で、どうしても探してほしい用事がある」

 エリーの言葉が終わるか終わらないかのタイミングでミツオは激痛を後頭部に感じながら、自分の車にぶち当たる。

 その勢いで地面に倒れ込む、濡れたアスファルトの感触が顔面を支配した。

 ミツオを見下ろしながら、男のだみ声が聞こえた。

霧中(その12)

 

 ミツオのそばでたたずむ男は一人ではなかった。ボス格の男が手下に指示を出す。ミツオの両脇を抱え上げてむりやり立たせ、車に投げつけた。

「あんた探偵さんだろ」

 焦点の合わない瞳でミツオは、ボスらしき男を見る。背は低いが、首の太さが尋常では無い。目の輝きには感情が無い。は虫類を想像する切れ長の目。 

「あのエリーとか言う女に頼まれて権堂を探してるな」

 男は懐からタバコの箱を取り出し、はみ出したフィルターを口にくわえた。すかさず左右の手下から火が二つ灯される。

「これが最終通告だ。次に会う時にはこれではすまない。この件から手を引け」

再びアスファルトにミツオは転がされる。立ち去る足音だけが耳にとだいている。

 エリーはいつの間にかいなくなっていた。

霧中(その13)

 

 顔をなめるざらついた舌の感触でミツオは目を覚ました。猫がそこにいた。白地の三毛猫がじっとミツオを見ていた。三毛猫は意識が戻ったことを確認して満足したかのように一声小さく鳴いた。こぎれいな部屋。フローリングの床にブランケットが敷かれている。その上にミツオは寝かされていた。

「気がついたかね。あんた、あの連中が誰だか知っているのかね」

 奥から出てきたのは先ほど立ち話をした大家だった。

「知らない」

 大家は心配そうに、ミツオをのぞき込み、ひとりうなずいた。いそいそとミルに豆を入れだす。どうやらコーヒーをいれるつもりらしい。

「権堂には近づくなと言われた」

「あの連中はこの辺り一帯を取り仕切る磯山会と呼ばれる荒くれ者達だ。デジタル関連のしのぎも得意と聞いておる。コーヒーでも飲むかい」

「ありがとう。いただくよ」

霧中(その14)

 

「君がやられた男の名前は遠山。私は磯山会に恨みがある人間だ。だから君に協力する」

 大家は布でこしたコーヒーをミツオに差し出しながらつぶやいた。

「ありがとう」

 ミツオは受け取ったコーヒーを一口すする。酸味のある浅煎りの香りと味わいがとてもうまいと感じた。ミツオは何を言えばよいのか考えていたが、よい言葉が思い浮かばない。沈黙が空間を支配する。

「一人息子を失った」

 大家が口を開く。沈黙に耐えかねたという風にもとれるが、誰かに聞いてほしいという気持ちもあるのだろうとミツオは感じた。

「権堂が何をしていたのか、もしかして知っているのか」

 大家はこくりとうなずいた。

霧中 (その15)

 

「私の息子は権堂と同じ会社、アリスコーポレションでプログラマーとして働いておりました。ある日、遠山がやってきて、息子に仕事を依頼したそうです」

「Eシステム」

 ミツオはぼそりと言った。

「そうです。Eシステムの基本的な骨格はすでに完成していて、その革新的なアイデアに息子は興奮しておりました。しかし、仕事を進めるうちに、あらゆるシステムを乗っ取って遠隔操作できるシステムであることに息子は気づいたのです」

 大家はコーヒーを飲んだ後、話を続けた。

「完成を拒んだ息子は遠山から執拗な嫌がらせ受けました。耐えきれなくなり息子は自ら死を選びました」「お悔やみ申し上げます」

「Eシステムの基本骨格を作ったのは東方室Aです」

「えっ」

 ミツオは声を失った。

霧中(その16)

 

 大家の部屋を後にしたのは深夜になった。遠山たちの姿は無い。自分の車に乗り込みながら、エリーは、はたして大丈夫だったのかを考えた。瞬間的に姿を消したようにも見えたエリー。依然として何者なのかが分からない状況に、釈然としないものを感じながらとりあえず岐路につく。 尾行の有無を確認しながら運転はする。上空からの尾行はほぼ不可能だ。なぜならオートパイロットを切っての運転は、人間業ではできない難しさだからだ。

 3Dプリンターによって作られた建物は大家の思想を色濃く反映していた。ミツオのアパートはガウディの聖堂を小さくしたような外見をしている。その小ささが逆に貧乏くさく感じることに大家は気づいてはいない。

 自室のドアにミツオは顔を寄せる。生体スキャンによって鍵が開いた。

 靴を脱ぎながら、車の鍵を棚に置く。そのすぐ横には琥珀色のアルコール。グラスに注ぎ飲む。

霧中(その17)

 

 次の日、ミツオは東方室Aに再び足を運んだ。無人のロビーを進む。先日の受付ロボがカウンターからすべるようにやってきた。

「本日はどういったご用件でしょうか」

 ミツオは胸ポケットをまさぐる。

 コードが印刷された名刺大のアクリル板をとりだす。受付ロボの前に差し出し、読み込ませる。

 このアクリル板は、大家の元に息子の死後届いたものだ。生前に送付したものだろう。息子からの最後のメッセージだとミツオは直感した。

 アクリル板を認識したロボの様子に変化が現れる。ミツオを促すようにロボが動き出した。あわてて後に続く。別室に案内され、ミツオが入室すると後ろでドアが閉まる。

 ロボは顔を上げて、空間に映像を照射した。

 ミツオは声を失う。

 空間に現れたのはエリーだった。

霧中(その18)

 

「あなたが目にした私は、霧中に照射した実体のない映像。そして私は実体のないプログラムなのです」

 エリーはミツオの目を見ている。ミツオは言葉を失う。

「私のプログラム母体は、レベルE。権堂達によって開発されました」

「あんたプログラムだったのか。驚いたな。そんなあんたがどうして権堂を俺に探させている」

「現在、レベルEが組み込まれていないパソコンは存在しない。問題は私。プログラム・エリーなのです」

 エリーは視線をおとした。

「私は隠されたウイルスとして眠っています。しかし権堂がコードを入力すれば、たちまちすべてのシステムが乗っ取られてしまいます」

「おいおい」

 ミツオは唖然とした。

 

霧中(その19)

 

「私にはどうしてもコードを見つけることはできなかった。権堂はここにいる。見つけ出して停止コードを入手してほしい」

 エリーは埠頭の倉庫を示した地図を表示する。

「権堂はかくまわれているということか……」

 ミツオは腕を組んだ。

 その時、エリーの立体映像が乱れる。

「私の外部出力が阻害されます。ミツオさん。逃げてください。ここは東方室A。私を作った発注者の拠点です」

 言い終わる前に映像は消失する。室内には受付ロボとミツオだけになった。

「おまえはどちらかというと俺の見方だよな」

 ミツオは震える声で受付ロボに話しかける。ロボの瞳の発光が緑から赤に変化する。直後、モーター音が響き、ミツオとの距離をつめる。ミツオは何も出来なかった。首に痛みが襲う。

 ミツオの首を締めるける腕が圧縮空気の音と共に真上に伸びる。持ち上げられたミツオはもがいた。天井に頭をぶつける。遠のく意識。視界がうすれていく。

霧中(その20)

 

 意識がなくなる刹那、ロボがミツオの顔を擦り付けている物が何であるかが分かった。

 ミツオは最後の力を振り絞って、ポケットからライターを取り出し。素早く着火する。ミツオの顔に埋もれている火災検知器をあぶった。コンマ5秒後、視界をうばう大量の水がスプリンクラーから降り注ぐ。

 防水処理のされていなかった精密機器は、一発で昇天した。エラー音と共に機能は停止する。ミツオはロボの腕に足をかけて締め付ける腕を外し、やっと呪縛から解放される。水浸しの床にがっくりとうずくまった。のろのろと立ち上がり、ミツオは部屋を後にする。

 なんとか建物の外にでたミツオは車のドアに手をかける。ずぶ濡れの体をシートに預けることに抵抗はあったが、そんなことを言っている場合ではない。

 エンジンに火を入れて、一速にギアをたたき込む。バックミラーに、東方室Aの建物から、後輪をスライドさせて飛び出す数台のエアバイクが見えた。

 

霧中(その21)

 

 霧中の視界は、まるでミルクの中だ。感覚だけでミツオは走る。バイク2台は、ミツオの車にすぐに追いついた。両側に一台ずつ並ぶ。ミツオが首を振って左右を確認する。ホバーバイクを運転しているのはやはりロボットだった。ロボットはハンドルから片手を離す。腕をミツオの車に向ける。手のひらの中に銃口が見えた。直後に衝撃と共に車内にはガラスが散乱する。サイドとフロントのガラスが粉々に吹き飛んだ。奴らは躊躇なく発砲した。

「なるほど」

 ミツオは静かにつぶやく。

 ハンドルを左右に素早く切る。

 バイクは車体の側面にぶつかりながらバランスを崩した。ハンドルを切り続け、バイクを車体とガードフェンスの間に挟みこむ。火花を散らしながらバイクは転倒した。

 もう一台のエアバイクはたまらず上空に逃げる。天井に複数の弾痕が続けざまに開いた。急ブレーキを踏む。上空のエアバイクはミツオを追い抜いた後、Uターンしてくるのが見えた。ミツオは車外に飛び出した。

霧中(その22)

 

 ミツオはゴミための中を走る。酸性雨はあらゆる物を腐食させ、道に転がっている。身を隠しながらビルの階段を駆け上がる。10フロアーは登っただろうか、ミツオは息を整えながら階段に座り込む。

 だめだ。

 バイクは正確に、ミツオの後を追いかけてくる。ミツオが廊下の壁から階下を見る。ロボはこちらを見上げながらまっすぐ上昇してきた。ミツオは壁に手をかけ、自らの体を空中に投げ出す。真下にはホバーバイクがいる。ロボの背中に蹴りを入れながら、タンデムシートにミツオは収まった。地上10メートルの格闘。ロボの上半身がくるりと回転した。180度後ろ向きになり、ミツオと手四つになる。ミツオは思う。きっと格闘のプログラムがインストールされているに違いない。ロボは手を振りほどいて、銃口をミツオに向ける。ミツオはロボの胴体にタックルしながら自らの手を伸ばす。指先にあるのはバイクのメインスイッチ。ミツオはバイクの電源をオフにする。

霧中(その23)

 

 浮遊力を失ったバイクは自由落下を始める。後ろを向いているロボは何が起こったか分からずフリーズしている。ミツオは自分でやったことなので、こうなることは十分に分かっている。一瞬の隙をミツオは見逃さない。ハンドルをしっかりもったまま、体を左に傾ける。ハングオンの姿勢をつくる。バイクはくるりと回転しながら落ちていく。フリーズを起こしているロボをバイクから蹴落とし、ミツオはメインスイッチを入れる。即座に命を吹き返したバイクが浮遊力を回復した。地面に激突寸前だった。

 バイクの性能を確かめつつミツオは地面を確認する。

 ロボはうつ伏せのまま動かない。ミツオはアクセルを開けた。

 霧の空を進む。空中の運転は慣れないが、出来ないこともない。埠頭の倉庫にハンドルを向ける。

霧中(その24)

 

 ミツオは一度遠回りをして海上に出る。波の音と磯の香りに支配される。ヘッドライトを消した状態で海上から倉庫を観察する。人の気配があるのはこの倉庫だけだ。漆黒の闇の中、ライトが煌々と点いている。ミツオには、ベランダに出てタバコを吸う男達が見て取れた。手には短銃が握られている。何かしらの情報が届いているとミツオは思った。ご丁寧にアンドロイド型ロボットも警備についている。戦闘に特化したタイプに見える。これだけの装備がここに集まっているのは政府が、関与している証明でもあった。

 無性にタバコが吸いたくなったが、ここで火を灯すわけにはいかない。意を決して視線をあげる。アクセル全開で、上空に高く跳ね上がった。

霧中(その25)

 

 倉庫の遙か上空からエンジンの出力をしぼる。車体は徐々に高度を下げていく。屋上に見張りの男が一人見えた。懐に手を差し入れてタバコの箱を取り出す。口元に一本くわえる。ライターの調子が悪く、なかなか火がつかない。いらいらする男に火を差し出すものがいた。

「どうも」

「どういたしまして」

 火を点けてやったのはエアバイクにまたがったままのミツオだ。

「おまえ」

 見張りの男が手に持つ短銃をミツオにむける。

 ミツオは素早くアクセルをあおる。

 車体がくるりと半回転する。

 車体側面が見張りの男にぶち当たる。ミツオはバイクを屋上に下ろして、うずくまる男にとびかかった。手足を器用に持参したタイラップで縛り上げた。

 屋内へと続くドアに向かう。

霧中(その26)

 

 この建物に権堂がいることは間違いない。しかし具体的にどこにいるのだろう。

 ミツオは不安しか感じない。でも行くしかない。震える足を押さえつけて、慎重に階段を下る。

 踊り場をひとつ周り、1フロア下がる。廊下が左右に伸びている。中腰になり、首を出す。

 いる。

 格闘タイプのアンドロイドだ。

 圧縮空気の音と共に、しなやかな人工筋肉の動く音がする。

 このまま、もう1フロア下がりたいが、一度廊下に出ないと、下りの階段にたどりつけない構造になっている。

 敵と味方の人間を区別する何かがあるはずだとミツオは思った。

 あわてて屋上に引き返す。

 先ほどの手下が同じ位置に転がっている。

「お前、ロボットが敵と味方を判断する発信装置を持っているだろう」

「なんのことだ」

 ミツオはため息をつきながら、男を自分の肩に抱え上げる。

 わめく男を、屋上の手すりに乗せた。

「そんなこと言っていて良いのか。このまま俺が手を離したら、あんたどうなる」

 男は自分の首をねじって確認した。地上まで20メートル以上ある。ここから落ちたら確実に命を失う。

 男が内情を説明するのに、そんなには時間はかからなかった。

霧中(その27)

 

 男の上着に、その発信器はあった。ライターぐらいの大きさ。これを持つものを格闘アンドロイドは味方と判断する。

 ちなみに男からの情報で、権堂は地下一階の部屋でかくまわれている。屋上から1フロア下がった廊下に再び戻ってきた。

 アンドロイドがいる気配はある。 大丈夫と分かっていても足は震える。

 意を決して廊下を横切り、階下に向かう階段へと足をすすめる。

 キシュシュシュ

 一段と甲高い音が廊下の奥に響く。 アンドロイドが全速力でミツオに向かって走りだす姿が見えた。

「うそでしょう」

 ミツオは毒づきながら、階段を目指す。

 しかし、アンドロイドの跳躍はすばらしく素早く、一瞬でミツオのすぐそばに肉薄する。

霧中(その28)

 

 階段を目指す。

 すぐ背後に、気配が迫る。

 ミツオは素早く振り返り、捨て身の足払いをくりだす。

 ひょい

 ちょっとした跳躍でミツオの蹴りはかわされる。

 ロボはミツオを見下ろす。

 ミツオの思考は完全停止。

 終わった。

「よかった間に合った」

 抑揚のとぼしい合成音声が響く。

 一瞬何が起こったのか分からない。ようやく声がでた。

「エリーか?」

「そうです。ようやく乗っ取ることができました。とにかく急ぎましょう。今夜の騒動がきっかけかはわかりませんが、今夜12時にプログラムが開始する指令が下っています」

 ミツオは声にならないうめきで応答しながら起き上がる。腕時計を確認する。12時まであと30分もない。

「急ごう」

 ミツオは屋上の見張りから奪ったオートマチック拳銃を確認する。

 こうなったら、銃声がしようがしまいが、関係ない。

 二人は階下を目指して駆けだした。

霧中(その29)

 

 エリーの動きは素晴らしかった。見つけた手下を片っ端から倒していく。

「地下一階に権堂がいるらしい」

 ついていくのがやっとのミツオは息を切らしながらエリーに続く。

「そうね、この子のメモリーに具体的な場所が記されている」

 振り返ったエリーに敵がせまる。ミツオは狙いを定める間もなく腰の位置からオートマチックを発砲する。手下の肩に弾丸が当たり、傷口を押さえて手下はひざまづいた。即座にエリーがとどめの蹴りを顎先に見舞う。意識をなくした手下は、人形のようにばったりと崩れ落ちた。

「ありがとう」

 エリーがおどけて会釈する。

「どういたしまして」

 ミツオは倒れ込んだ手下の様子を見る。反撃は出来そうもない状態を確認して走り出す。

「権堂は素直に停止コードを教えてくれるのか」

 ミツオは最大の疑問をエリーに問いかける。

「私に考えがあるの」

エリーがかすかに笑ったようにミツオには見えた。 

 

霧中(その30)

 

 権堂は一番奥まった部屋にいる。エリーはそう言った。ミツオはステンレスのライターを手でこする。まるで鏡のようになったライターを廊下の角に差し出す。奥の様子が映り込む。廊下には八体以上のロボットが集合していた。

「ロボ大集合ですよ。エリーさんどうします」

「最後の護衛をロボットに任せてくれてラッキーでした」

 青色に点灯しているエリーの瞳が暗くなった。ミツオは一体何が始まるのかと見守る。直後、圧縮空気で動く人工筋肉の音が停止した。

「とりあえずガードロボに全員に細工しました。行きましょう」

 二人は機能を停止したロボを避けながら一番奥のドアの前に立つ。エリーがドアノブに手をかける。鍵がかかっている。

「どいてくれ」

 ミツオが鍵穴を見ながらかがむ。アナログな解錠はミツオの得意技であった。鍵が開く音が廊下に響く。扉が開く。 

霧中(その31)

 

「やあ、お待ちしておりました。これがあなたたちが探しているものです。どうぞお持ちください」

 権堂は食べ終わったカップラーメンの器が何個も散乱する、ちゃぶ台の座椅子に座っていた。ミツオ達を確認するとうれしそうに立ち上がってきた。

「待て、どうして素直に教える。おかしいじゃないか」

「このコードを信じるか信じないかはあなた次第です。この軟禁生活から早く解放されたいのです。ここにあなたたちがやってきたのは、磯山会の護衛プランのミスです。わたしには関係ありません」

「それはそうかもしれないわ」

 エリーは権堂の示したカードを読み込ませ始めた。

「おい大丈夫なのか」

 ミツオは焦りながらエリーの顔を見る。エリーには今のところ異常はない。

「ミツオさん……」

 エリーが振り返ってミツオを見た。「どうした」

「どうやら大丈夫じゃなかったみたいです」

 エリーはがっくりとひざまずき、活動を停止する。

霧中(その32)

 

「しっかりしろ」

 ミツオは動かなくなったエリーに駆け寄る。力一杯ゆすっても、エリーには何の反応もなかった。

 奥の扉が開き、多数の手下と共に、ある人物が現れた。

「次に会った時には、命はないと忠告したはずだ」

「遠山」

 彫刻刀で彫ったような粘着質の目をミツオ達に向けている。

 遠山の姿を確認した権堂は、遠山達に歩み寄り、頭を下げた。遠山はねぎらうように権堂に顎で挨拶を返した。そして懐から封筒を取り出し権堂に渡す。封筒を大事そうに受け取った権堂は、感謝の言葉を残して部屋から出て行った。

「あいつはお前達をおびきだす囮だけの役目だ。プログラムは俺が書いた。あいつには会社の看板を利用して全世界に、俺の悪巧みをばらまいてもらったというわけだ」

「エリーは誰が……」

「あの大家の息子だよ。俺たちの企みを察知したあいつがどうやら忍び込ましたらしい。今エリーが読み込んだのは、俺のプログラム実行阻止コードではない。エリー自身のアンインストールコードだ」

 無駄話はおしまいだというように遠山は手下に目で合図する。

 複数の銃口がミツオに向く。

霧中(その33)

 

 引き金にかかる指先がかすかに動く。

 衝撃音と共にミツオがこの部屋に入ったドアが吹き飛んだ。複数のレーザーサイトの軌道が煙に浮かびあがる。手下達の手に持つ短銃がすべて吹き飛ぶ。ミツオは瞬間的に遠山との距離をつめた。棒立ちになっている遠山の首筋に、ミツオはオートマチックの銃身をめり込ませる。

「動くな」

 ミツオは一喝し、その場にいる人間の動きが止まる。

 爆音と共に入ってきたのは、外にいたガードロボットだ。

「本体をガードロボに移しておいたの。その子は遠隔操作で動いているコピー」

 ひざまずいて動かないロボットを手で指し示しながら、あらたな個体に乗り変わったエリーがミツオに説明した。

「さあ、遠山さん。今度こそ停止プログラムを発動してもらおうか」

 ミツオはちゃぶ台の上に無造作においてあるラップトップを指さした。「はい分かりましたと俺が言うとでも思っているのか」

 遠山は憎々しげにミツオをにらみつける。

 直後、銃声が2発響き渡る。

 一発はミツオが放った銃弾。遠山の右肩に当たった。

 もう一発はエリーが放った。右太ももに当たった。

 遠山は完全に戦意を喪失したように見えた。

霧中(おしまい)

 

 治療を懇願した遠山の作業はあっけないほどすぐに終わる。

 外に出たミツオ達はサイレンが鳴り響く街の異変に気づく。

 暴徒が店を襲い、警察が走り回っている。

「大抵のシステムが遠山のプログラムを使っていたから、しばらくはしょうがない」

 ミツオはたばこの煙を深く吐き出しながらエリーに続けてつぶやく。

「これから、あんたはどうする」

「私は消失を免れたようです」

 エリーは視線を落とし、自身の身の振り方に困惑しているようにミツオには見えた。

「俺んちに来るかい」

 エリーは顔を上げてミツオを見る。「いいんですか」

「ああ」

 ミツオは歩き出す。

 エリーがミツオの後を追いかける。